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出会い

名なしのワンコの事があり、
ますます自分のワンコが欲しくなっていた私が愛犬チコと出会ったのはたしか2〜3ヶ月後の事だったと思います。 
ある初夏の土曜日の夕方。
そろばん教室をさぼって駄菓子屋さんで友達と遊んでいた時に、赤茶色のそれはもう可愛い子犬をだっこした男の子がやってきました。

 私「どうしたの?このワンちゃん」
 男の子「○○公園の近くで拾った」
 私「へぇ〜。」
 私(思いっきりさりげなく)「どうするの?お家に連れて行くの?」
 男の子「お母さんがだめって言うかもしれないけど、連れて帰るんだっ」
 私(間髪を入れず)「えぇーーーー!!怒られるよぉーーー!!」
 男の子「…うん。」
 私「お母さんがだめだっていったらこのワンちゃんまた捨てちゃうの?」
 男の子「……。そうだね。」
 私「かわいそうだよぉーーー!!」
 男の子「でも、ここまで連れて来ちゃったしなぁ。」
 私(ちょっと困った顔をして)「…じゃ、私が連れて行ってあげようか?」
 男の子「うん…。」
 私「いいよぉー。私が連れて帰ってあげても」

こうして、赤茶色のかわいい子犬は私にだっこされました。

さて、これからが大変です。なにしろ犬を飼うのに最大の協力をしてもらわなくてはならない母が、犬嫌いなのですから……。しかも、数年前外で野良犬に噛まれ、それ以来犬が怖いという兄がいるのです。でも、こんどこそ、この可愛いワンコを手放すことは絶対に出来ません!! 

名なしのワンコの時は、なんとなくワンコが家に居着くようにし、なし崩しで家のワンコにしてしまうという計画でした。同じ失敗は出来ません。
そこで、母がわかったと言うまでこのワンコを抱いたまま家には入らない事にしました。
……どのような経過だったのか憶えていないのですが、ワンコを段ボールに入れて私はちゃんと夕ご飯を食べていました。でも正式なOKはまだでした。

激動の2日間
チコ

翌日は日曜日。私は一日中子犬をかまって過ごしました。
名前はチコと付けました。当時、人気のTV番組チャコちゃんケンちゃんをヒントに名付けました。
でも、夕方になり母から「ウチでは犬は飼えない。」と言われました。


私「じゃ、チコを捨てちゃうの?そんなこと絶対に出来ない」
母「明日、学校へ連れて行きなさい。お小使いさんが犬を飼ってたでしょ?
   おじさんにお母さんが絶対だめだからってお願いしなさい。
   学校にいれば毎日あえるじゃない」
(当時、学校の中に住み込みで用務員のおじさんがいたのです。
カブというワンコを飼っていました)
なんと勝手な……言い分。(昔々の事です。どうぞ大きな心で笑って聞き流してください。)
家庭内の事で母が絶対にだめと言うときは100%だめなんです。私も納得はできないものの母の決定に従わない訳にはいきませんでした。

月曜日の朝、チコを抱いて学校へ行きました。とても重く感じました。
用務員室へいき、おじさんに言いました。

 私「お母さんが絶対飼っちゃだめっていうんです。この子を飼って下さい。
   お願いします。」
おじさんはさぞ困ったでしょうね。でも『いいよ』といってくれました。

昼休みに様子を見に用務員室へいきました。そこには6年生のお兄さんお姉さんが何人かいて、「チコ」を抱いてます。みんな、「サリー」と呼んでました
(カブという♂がいたので、魔法使いサリーから名前がついたんでしょう)

 
『サリーじゃないのに!!違うのに……。』悲しくて切なくて、どうしようもなくなりました。

放課後、またおじさんのところにいき、言いました。
 私「ウチに連れて帰りたいんです。
   お母さんにはちゃんと私が面倒をみるからっていいますから
   チコを返して下さい」
おじさんは、朝チコを預けたときよりもっと困った顔をしていましたが
優しくいってくれました。
おじさん「じゃ、そうしなさい。おかあさんにどうしてもだめだって
     言われたら明日また連れておいでね」

チコを抱いて家に帰りました。朝よりずっと軽かった気がしました。 

 私「ただいま」
 母「お帰りなさい。……!!おじさんにお願いしなかったのっ!!」
 私「したよ。でもみんながサリーって呼ぶんだよ、チコなのに。
   だから連れて帰ってきた。」

その後、母とどんな会話をしたのか憶えていません。ただ、私の意志が岩のように固いということと帰宅した父の取りなしがあったのだと思います。(父は犬が好きなんです)翌朝、母がこういいました。

 母「お小使いさんのおじさんに昨日は済みませんでした。
   ちゃんと育てますからっていって来るのよ。」 

こうして、激動の2日間が過ぎ、チコは私の愛犬となったのです。

生活
海は怖い
ある時、チコを海に連れて行きました。
大喜びで砂浜を走り回り、海にばしゃばしゃと入るんだろうと思っていたのですが・・・
チコは水が嫌いで絶対に波打ち際に近づきませんでした。そういえば、水たまりがあるとさけて通ってたっけ。
くさいものが好き
普段のチコはなんのしつけをした憶えもないのですがいつもぴたっりと私の横について歩いていました。
それが、ある時、いつもと違ったお散歩コースでチコが突然ものすごい勢いでかけだした事がありました。リードが離れ草むらの中に入っていきます。
追いかけていくと「フッ」とチコの姿が消えました。
『穴に落ちたんだっ』と思いましたが、違いました。おそらく魚の腐ったものだと思うのですが、ひどくくさいにおいのするものの上に体を夢中でこすりつけていました。
その後の、満足そうな顔……。ウチに帰って母にひどく怒られたのは言うまでもありません。
獣医さん
犬に与えてはいけない食べ物とかそんな知識があったのかどうか……。
チコはよく、お腹をこわしました。
家族がたくさん残したものも『チコは今日はごちそうだ』といっぱい、あげたように記憶しています。
獣医さんには自転車のかごに乗せて連れて行きました。往復で30分くらいの距離だったと思います。
チコは子供の私には大きな存在でしたが、実際は小さな子だったんですね。
といっても子供用自転車のかごには収まりませんでしたから、大人用の自転車のかごに乗せ、私は必死で立ちこぎしながら連れて行きました。
赤や緑のキャンディーのような大きな薬を貰いました。チコは絶対に食べようとしないので口を大きく開けてのどの奥に押し込みました。おいしそうな薬なのに……。
日常生活
チコ2

大人になって
チコの事を思い出すたびに、何度となく考えた事があります。
『チコは私の犬になってしあわせだったんだろうか。あの男の子のウチに貰われていた方が、あるいはお小使いさんに育ててもらっていたら、もっと幸せだったんじゃないだろうか?』
私はチコにとっていい飼い主ではありませんでした。
『あーーー、あの時は、もっと、こうやってあげれば良かった。』
『あのとき、コンな事をしてしまってかわいそうだった』振り返れば、そんな反省と後悔ばかりです。

チコが家のチコになって最初の日曜日、父が犬小屋を作りました。赤いペンキを塗った大きな小屋でした。犬小屋が完成するとすぐにチコはそこに入りました。作っているときからこれが自分のウチだと知っているかのようでした。
父はお休みの日に大きなたらいを持ち出してシャンプーをしたり、なんだかんだと世話を焼いていました。
野良犬に噛まれて以来、犬が怖い兄も犬小屋作りは手伝っていました。思い返してみるとチコのことはそれなりに可愛がっていたように思います。
母はチコを飼うにあたり、私に散歩に毎日連れて行くことと、ご飯をあげることを条件にしました。ご飯は母が作ってくれました。

チコはもちろん、私が一番好きでした。ご飯をあげるのも散歩をするのも私ですから。
でも、中学生になり、部活が忙しくなると散歩に連れていかない事がよくありました。朝、散歩に連れ出しても歩いたりするのが面倒で、近くでぼーっと立っているだけで帰ってきてしまう事もありました。
私が散歩に連れて行かないとき、チコは鎖につながれたまま一日を過ごしていました。母は年に2回の狂犬病予防の集団接種には連れて行来ますがそれ以外は連れて行きませんでした。兄も元々犬がこわいのですから。それに当時の兄は高校生でしたから私より忙しかったと思います。いくら犬好きの父でも平日は仕事でくたくたです。
『あなたには仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。でも……私にはあなただけしかいないのです。』
これは インターネットを通じて知った【犬の十戒】の一説です。私は、いい飼い主ではありませんでした。

中学3年生になりました。
9月に入り、昼は相変わらず暑いものの朝夕はだいぶ冷え込んできた頃です。このところ、どうも元気がないチコを獣医さんに連れて行きました。
このとき、いったいどんな検査をしたのかは憶えていないのですが…

獣医さん「チコはね、フィラリアにかかっているんだよ。でね、もう心臓までやられているから助からないんだよ。好きなものをあげて好きなことをさせてあげなさい」
どんな経路で感染するのか、そして予防薬があることなどをその時初めて知りました。

チコが死んだのは9月末です。たった5年の生涯でした。

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